風に吹かれて

~愛すべきこの街に誰が沈めたというのだろう~

エイトレインプロジェクト

関ジャニ∞ファンになったきっかけは、クロニクルのいきなりドッジ。確か2015年5月だったと思う。それからしばらくは、茶の間ファンを続けていた。

ファンを続けているうちにライブにも行ってみたくなり、チケットサイトを検索した。結果、ジャニーズのチケットなんて姿形もなく、ファンクラブに加入しないと取れない、いやそれどころか取れるかどうかもわからない、という驚愕の事実を知る。2016年9月人生初のファンクラブに加入した。

初ライブは『関ジャニ'sエイターテインメント』

何を血迷ったか「普段使いできるだろう」とたこ焼きペンライトを購入し、おひとり様で参加した。楽しかった。とてつもなく楽しかった。

それから毎年、ライブに行っている。エイト仲間ができてからは、人生初の「多ステ」というやつも経験した。振りも少し覚えた。ペンライトのスイッチングも早くなった。ジュニアファンの見分けもつくようになった。

もう少し早くファンになっていれば過去のライブにも参加できたのに、と思ったことはない。ファンになったその瞬間が最適なタイミング。「たられば」なんかない。

 

今回の列車の旅は、ファン歴約8年の中で「多幸感の最高値」を叩き出した。

 

ただ、彼らは同じような路線ばかりを辿らないだろう。いや路線どころか「海路」や「空路」になるかもしれない。「いつまでも変わらずそばにいてね❤️」が、突然「もう飽きたのお別れしましょう💔」に豹変するのを知っているだろうから。

 

noritama33.hatenablog.com

何がきても、面白がれるという確信。

あまり過去記事を振り返らない私が『応答せよ』のリハーサルを見て、あの頃のブログを読み返してみた。そう、2018年12月、怒涛のブログ更新の日々を。

あのとき私が願っていた「あぁ関ジャニ∞でよかった」という言葉を、表現の仕方に若干の違いはあれど、5人全員が口にした。これが確信の「源」だ。

怒涛のブログを書いていたとき、この言葉を発するのは随分先だろうと思っていた。それこそ、私世代になって、お茶を啜りながらしみじみ語るのかと(笑)

 

根拠のない楽観はしないよう気をつけている。

タモリさんが、令和5年は「新しい戦前になるのでは」と発言したらしい。的を得た重い言葉だと思った。

世界情勢は不安定。政治や経済もいつも通り。歴史を紐解いてみると、大体似たり寄ったりの道筋を辿っているようだ。人間進化しているようで大して変わらないものなのだろうか。

エンタメ業界は、この先も厳しい局面に立たされるかもしれない。でも、時代の流れの中に、常にエンタメは存在していた。それは、人々の心に一筋の光を差し込んだ…らしい。

(全てを見ている訳ではないからわからない)

光は、語り継がれることで輝きを増す。語り継ぐのは、意図的か、はたまた偶発的か。どちらにしても、アーティストはもちろん、それを語り継ごう(記録に残そう)とする人々の存在も大切なのではないか、と思ったりする今日この頃。

 

何のこっちゃの独り言。花粉が辛い💦

 

おしまい