風に吹かれて

~愛すべきこの街に誰が沈めたというのだろう~

祝・大山田

 
 
 
 
 
View this post on Instagram
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

A post shared by 関ジャニ∞ (@kanjani8_official)

www.instagram.com

ドドド〜ン

25年もしくは四半世紀。漢字にすると重みが増す。

年月の重みを感じるために、私の25年前を思い出してみる。血気盛んな黒歴史。そっと扉を閉める。

次に、彼らが入所した年頃を思い出してみる。意気盛んな青歴史。ずっと外を走り回っていた日々。履歴書なんて知らなかった。

 

私は転職経験者。同じ会社に25年以上勤めたことはない。働き方も多種多様だ。それを踏まえて言えること。

 

どこに所属しようと結局はその人次第。

 

それを踏まえても、彼らが属する業界は特殊。一般的に、名刺を交換することはあっても、顔を含めた名刺を一方的にお茶の間に広める活動なんて滅多にないから。

そんな彼らを「たかがアイドル」と呟いている人を時々見かける。行間を読めない人はリアルに苦労するよ(行間とは?)

人はどう足掻いても人。彼らを神聖化することはできないが「尊重」の気持ちは忘れずにいたい。

 

ここで、私なりの想いをつらつらと。

 

●マルちゃん

いきなりドッジで首がすわっていなかった。変な動きのオンパレードだった。この出会いがなければ、関ジャニ∞ファンになることはなかったと断言できる。一体どういう入口だと思われるかもしれないが、感覚的なものなので説明のしようがない。

あれから約7年。空振り三振、振り逃げアウト、数々のお家芸からのサヨナラ満塁ホームランは、神がかっていた。言葉遊びも面白い。U字の水槽とかシャケとかキリがないくらい。

首周りがヨレヨレになったTシャツ着た自宅インスタライブ、映っていることに気づかず黙々と食事をしている姿、好きポイントたくさんあるけど、やっぱりベーシスト丸山隆平が一番カッコイイかな。

FCに登録している好きなタレント名「丸山隆平」は不動の定位置だ。

 

●ヤスくん

今の笑顔がとてもいい。あまり過去の話を蒸し返したくはないけど、体調不良だった頃の痛々しさは凄まじいものがあった。そんな姿を見ていられなくなったファンもいるかもしれない。私は逆。命のやりとりを切り抜けた先を薄らと知っていたから。

まぁ私とヤスくんでは設定も仕様も違うけど、私が知っていたのは、自分の中にある「核」の存在を認識できるようになるということ。それをわかりやすく表現すると「生きているだけで丸儲け」笑。さんまさんの名言。これに尽きる。

推し活は関ジャニ∞が最初で最後。決め手はヤスくんの「なぁ友よ」だった。あなたの歌声が、ギターの音色が、この先も多くの人の心を震わせますように。

 

●大倉くん

某バラエティ番組で「学校の先生に向いている」と評されていた大倉くん。ジャニーさんに直訴したのは、タイミング、ジュニア時代の想い、現状、未来など、様々な要素があったと思う。もしかしたら、元々指導者志向があったのかもしれない。

ジュニアファンも含め、彼の活動に言いたい放題の方々がいるようだ。SNS大声派はファンの極一部だと思うけど、茶の間小声派で薄ら疑問を呈している人もいるだろう。本業を疎かにするな、と。

私は、本業が固定されていないところがジャニーズの強みだと思っているので、特に気にならない。後輩育成も関ジャニ∞の活動も一定の成果を出している。自ら名乗りをあげた仕事はやり抜くべし。

敢えて課題を挙げるとするならば、本人も言っていた仕事量の配分と中性脂肪の多さなのかな笑。先をきちんと見据えている人。要注目。

 

少しばかりの粗塩を擦り込んだマイフィルターを通しての想いはここまで。

大型の台風が来るらしい。飛んだらマズイものを退避させる作業に突入する。

 

おしまい