風に吹かれて

~愛すべきこの街に誰が沈めたというのだろう~

「ボク。」に思いを巡らせる…

「ボクがぶっ壊れた日、そして生き延びた日」に更新された『ボク。』

私の経験を交えながら、巡った思いを書いてみます。

 

私にとっての4月9日は27歳の晩春。本来ならば、綺麗に着飾って幼馴染の結婚式の受付をしていたはずの日。

ところが、結婚式の少し前に受診した健康診断で不具合がみつかり、再検査から精密検査入院へ。そしてまさかの医療ミス。しばらく彷徨う日々。

人生の一大イベントを迎えている幼馴染と、三途の川を渡りかけている私。この違いは一体何なのだ!なんて思うはずもない。人間生死を彷徨うと「無」になるのだ。同じ意味合いなのかはわからないが、これはヤスくんも書いていた。

「病気をしなかったら人生どう変わっていただろうか」

それはわからない。でも病気をして変わったことは

「生に対する執着心が強くなった」

これは単に「長生きしたい」ということではない。上手い言葉が見つからないが、自分を諦めなくなったとでもいうべきか。

私が好んで発していた言葉に「いきているだけでまるもうけ」というのがある。さんまさんが娘の「いまる」ちゃんにつけた名前の由来らしい。ちなみに元奥様は「いまをいきる」と言っていたような気がする。表現は違うが、どちらも「生きる」ことに焦点をあわせているところがステキな元夫婦…笑。

 

正気に戻って後遺症と戦うのは辛い。私も苦戦した。病院と先生が頼りだが、医療にはビジネスという側面もある。アイドル界もビジネスではあるが、命まではとられないはず。大きな違いである。

完治したのかはよくわからない。その後大破はないけれど、ときどき小破している。今はこれが「生きる」ことだと思っている。

 

そうそう…大破の経験をして変わったことがもうひとつあった。

それは「もうひとりの私がヌルっと出てきた」こと。素敵な言葉で表現すると「俯瞰の目」に近いが、それとは少し違う。

このブログは、もうひとりの私が書いていることが多いかもしれない。

ほぼホラーである。

 

人と比べて一喜一憂する前に、まずは自分を知ろう。

人のことを語る前に、まずは自分を語ろう。

自分を知らない、自分を語れない人に、人の気持ちがわかるわけがない。

 

人生は短い…でも楽しい。

 

脳内BGMに「誰でもない、あなたを生きて、あなたを生きて」が流れている。

おなかが空いた!

 

おしまい