風に吹かれて

~愛すべきこの街に誰が沈めたというのだろう~

2018年を振り返る③

 ど~ん!! 

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(TVガイドPERSON VOL.76)

これを読めば、安田さんの目を通した「2018年関ジャニ∞」が見えてくる…。

舞台「マニアック」のこと、グループ活動やメンバーのこと、そして自分の病や結婚観などを、包み隠さず語ってくれています。ただ、私とは立ち位置も見えている景色も違うので、言葉から伝わってくるのは、安田さんのごくごく一部だけ。

それでも、インタビューに対して真摯に答えてくれた安田さんは、この先グループの「重心」になっていくような気がしました。

かなり体に負荷がかかっていたと思うので「無理をしていないといいけど」と心配していましたが、語っている言葉を読んで、少し安心しました。彼にとって、家族の存在が大きな支えとなったようです。

 

ここからは、極めて個人的な考えなので、ご興味のある方のみお進みください。

 

 

 

 

この1年私が見た景色は、

「私フィルターを通した景色に過ぎない」

私フィルターは、私が今まで見たこと聞いたこと、そして経験したことを、自分なりに咀嚼して消化したもので成り立っているから、同じ景色が目の前に広がっていても、人それぞれ捉え方が違うのだと思っています。

だから、見たことも聞いたことも、ましてや経験したことのないことが起こったら、わからないのは当然。

なのに、わかろうともしないで「わからない!」とただ叫び続ける人たち。結果わからなくてもいいから、わかるための努力をほんの少しでもしてみればいいのに…と何度思ったことか。

「わからない!」と叫び続けるだけの人たちは、後々かなりの確率で「聞いてない」「なんで教えてくれなかったの」と、これまた叫びます。全部人任せ。

「わかりたくない!」という叫びの方が、どれだけ気持ちが伝わってくることか…。

 

茨木のり子」さんの詩に、

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

という有名な一節があります。この一節をお借りするならば、

 「自分のフィルターくらい 自分で磨け ばかものよ」になるかもしれません。

 

怖いですね…今回の振り返りは(笑)。「自分への戒め」なんですけどね。

 

突然話は変わりますが…個が確立しているグループ活動について。

安田さんが、インタビューで語っていた、

他人同士だから気も使っている。立ち位置とかみんなバランスを保つために、歯車をあわせにいっている部分はある。それは社会の縮図。グループもひとつの社会。

この発言をどうとらえるかは人それぞれ。

私は、昔の仕事仲間たちとの激闘の日々と、関ジャニ∞の活動を、重ねていることがあります。私にとって激闘の日々は、いくら八割ほど美化された過去の遺産でも、大切なタカラモノ。仲間たちとの交流は、今でも続いています。

でも、私が勝手に重ねているタカラモノから、関ジャニ∞の活動が外れていくことに落胆し、「そんなの間違っている!」と叫び続けるようになったら、ファンをやめようと思っています。そうする自制心くらいは、残しておきたいものです。

自分らしく素直に生きながら、それを喜んでくれる人と歩みたい。

この発言をどうとらえるかは人それぞれ(2回目)

この「自分らしい」「素直」が、具体的に何を生み出すのかはわかりませんが、これからの安田さんの表現に、そして関ジャニ∞の活動に、光を照らすことになるような気がします。

「素直って体力使う笑笑」という人と「素直に生きたい」という人が混在するのが、グループの面白さ。時にはぶつかることもあると思いますが、そこから何かが生まれ、グループが向上していくのでしょう。

安田さんが、丸山さんが6人いたら、それはそれでカオスですし(笑)。

 

これから先、もしかしたら「個の活動」が、今までよりも多くなってくるかもしれません。これは、諸先輩方の活動からの勝手な推測ですが…。

そんな中、グループ名が入った冠番組を続けること、バンド活動を続けることが、関ジャニ∞として凄く大切になってくるような気がします。これは、いつの日にか7人揃った姿を見ることができるかもしれないという「夢の源」でもあります。

それを目標にして活動するのは違いますが、それを望まれたのなら、それが多くの人の心に響くのなら、そして何よりも7人にとって意味のあることなら、普通に共演すればいいと思います。

タキツバみたいに…。

共演に限らず「前例がないから」「今までがそうだったから」なんて、どこかの頭の堅い人の口癖みたいだよね。

 

つづく…と思われる。